昭和33年7月、武生の町衆・三田村俊一、山田政四郎の両氏が、趣旨に賛同する有志とともに、当時の森広三郎市長を発起人代表に選び、広く市民の参加を募り「紫式部顕彰会」を結成しました。
紫式部が越前国府で若き日を過ごしたという史実をPRし、世界の文学史に燦然と輝く「源氏物語」の作者を顕彰するためです。
紫式部が越前国府(越前市)滞在時に詠んだ歌「ここにかく 日野の杉むら埋む雪 小塩の松に けふやまがえる」が、文豪谷崎潤一郎の揮毫による歌碑となり、同年11月3日文化の日に除幕式が行われました。
歌碑は、高さ2m、幅2.5mで、河濯山芳春寺(高瀬二丁目)の境内に建立され、後に紫式部公園に移設されるまで、旧武生市の名所として存在し続けました。
当時の「歌碑建設費寄付芳名録」には、市内小中学校職員児童生徒一同の名もあり、広く市民の浄財によってつくられたことが分かります。
昭和34年、偉大な文学者にあやかり、心豊かな才媛が輩出することへの願いを込め「紫式部文化賞」が創設されました。
市内小中学校から推薦された、文学的素養があり成績優秀な女子児童生徒を対象に、紫式部顕彰会が表彰し、現在もなお授与式が行われています。
歌人の俵万智さんが中学三年生のとき、この賞があることを知り、紫式部が越前市に住んでいたことを知ったという逸話があります。
因みに、俵さんは、残念ながら受賞できなかったそうです。
その後、顕彰会の活動は、文化セミナーや講演会の開催、小中学校への図書の寄贈、紫式部像除幕式関連行事の運営協力などを続け、昭和63年、市政40周年記念事業として「源氏物語アカデミー」を市と共催で開催しました。
このイベントは、全国津々浦々から多くの源氏物語ファンを集めて、今も越前市の秋の恒例行事として賑わっています。